天野先生

こんにちは

今日はこのこと書いとかなくちゃ。

2014年の文化の日、偉大な音楽家、和太鼓奏者、そして親戚でもあった天野宣先生が亡くなった。今日は命日。

私の祖父と天野先生のお父様が兄弟で、田中家とは縁が深かった。

でも私は関西が長いし、お目にかかることはほとんどなかったんだ。

確か2008年頃だったと思う。調布で天野先生のコンサートがあった機会に訪れた。

和太鼓グループ阿羅漢の皆さんも一緒だった。

私が幼いこと一度だけ会ったことがあるそうなのだが、そんな小さな頃の記憶は当然覚えておらず、ほとんど初対面だった。

私はその頃バークリーから帰国し、日本の音楽をテーマに作曲をしたいと思っていたところだった。それが親戚にそんなすごい人がいるなんて、まさか何かの奇跡かなと思って期待してコンサートを聞いた。

そうすると、今でも覚えてるんだけど、魂の震えるようなすごい演奏だったんだ。

涙がでた。

和太鼓って特に気迫命って思ってる人多いと思うけど、ハッタリの気迫だけなんかじゃない。

そこには修練を経て、にじみ出るような人間性、静けさ、人間性を高めた人たちだからこそできる深く広がる音楽の宇宙があった。

本当にそういう芸術に触れると人間って救われるんだ。

当時はただ言葉に変換できず感動を覚えただけだった。でもそういうことを知ると、その音楽を創り出していた”人達”に感動したとも言えるのかもしれない。

私もまだまだ修行が足りないけど、勿論そこを目指しているわけで。

今思うと一回だけでも、生で聞けて本当に良かったと思う。

本当はもっと演奏を聞きたかったし、直接お話もしたかったけどね。

 

公演のあと、少しお話できた。

この記事の読者さんには天野先生のことを知らない人もいると思うけれど、70年代には作曲家山本直純さん、指揮者小澤征爾さんとも共演し、80年には今まさに私が目標にしているモントルージャズフェスティバルへ出場して、その時のドラムサミットでアートブレイキーとも共演している。

これは先生のよく紹介されている代表的な出来事だけど、その後もこれまでにない素晴らしい太鼓と笛の音楽作品を創り続けて、活躍されてきた、まさにパイオニアだった。

 

話は変わって数年後、僕は現実と理想の違う生活に苦しんでおり、ついに鬱症状になってしまった。

その頃は病院にも行ったり、仕事も休みがちになり、人生の周りが本当に暗闇のようだった。その時に、先生に相談のために手紙を送った。

そうすると天野先生返事くれてすごい嬉しかったんだけど、それはね、もう達筆で何が書いてあるか読めないのよ笑

幾つかの単語は何年後かに解読できたりして笑

でも、暗闇が消え光がさすような、とにかく大変に力になる言葉を頂いた。

この時の言葉は私の一生の宝。

 

私は天野先生を音楽家として最も尊敬している。

それは親戚という不思議な縁もあるかもしれない。

でも1度しかお会いしたことがないというのに、それってどうなの?と自分でも思う。

しかし本質的なこととしていうとそれって1度しか会っていない、もっというと1度も会ったことがないとしても、結構分かると思ってる。

それはその人が残した音楽、そして人達をみれば分かる。

世間の評価を一切消して、自分自身さえも消えた時に残ったその時の生命現象とでもいうのだろうか。

その振動だ。

 

表現者として勿論だけど教育者としても、どうやったらあんな高みにたどり着くのだろう。奇跡的だと思う。

これは、、間違いなく “人” Human being ではないでしょうか。

私はできた人間じゃありませんが、、そこが勉強です。

ギターという西洋音楽の立場の違いもあるし、時代の違いもある。

自分自身の道を切り拓いて行く必要があるんだ。

ギターという楽器を通してそれらを表現していくことは極めて難しいけれどそれが自分の行く道なのでしょう。

 

天野先生の音楽を現在も継承しておられる阿羅漢の皆さん。

今はコロナで機会は少ないと思うけど、彼らの素晴らしい演奏を現在も山梨甲府を中心に聞くことができると思います。

一度事務所へ伺って練習風景を見学させていただいたことがあるが、とても素晴らしい方達だった。

その姿を見て関西でもこんな方々がいたら素晴らしいなと心から感じた。

関東方面の方はぜひ聞いてみてね。

 

今日も見てくれてありがとう。

また見に来てね。

 

天野先生、どうぞ安らかに。

 

2020.11.3

田中薫

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