冷たいと言われることについて

こんにちは

今日はこの事について書こうかな。

どうも私は結構昔から冷たい人間だと思われている事が多い気がする。

冷たい、という事はつまり他人に対して興味がないから、その結果としてあまり深く付き合おうとしない、みたいな風に思われているらしい。

で、どこかでそういう話が流れるのはまぁ残念に思わなくもないけど、結局のところ人にそれぞれの世界の見え方があるわけで、一応自分なりにそう思われる事の考え方をしておきたいと思った。

まず人間の本質からいうと、それは愛だと思うのね。

よっぽど変人でない限りは人を憎んだり悲しんだりする事の方が好きだなんて事はないでしょ。

楽しい、嬉しい、気持ちいい、そんな事が人間がはつらつと発展していくための基本状態なわけだ。私も当然そうです。

じゃ、なんで自分が冷たいやつと思われているか、っていうと私はその愛をいろんな人と伝達する事が得意じゃないんだ。

これはコミュニケーション能力の問題。

その代わりに私はそれを音で伝える事ができる。

私は自分の心に向き合う、静かな時間が好き。

だから、ガヤガヤしたり、見栄を張り合ったり、偉そうにしてる人がいたり、縄張りを争うような場所にいるとめちゃくちゃ居心地が悪いのね。

そういう場所だと本音で話しても通じない事がほとんどなんだ。

 

でもそんな意識を持たずに楽しくいられる人もたくさんいる。

これ、はっきり言ってどっちでもいいと思うんだけど、あなたはどう思う?

本音で喋ってもあ、そう。みたいな場所にわざわざいる意味がないと思うのよ。

 

こんな私は社会人として不適合なのか?

こうした自己嫌悪にかられる時期が結構あった。

でも、これって明らかに間違ってるのわかるかな?

 

一般的な社会人のあるべき姿って何?

誰が決めたの?

それは、実は長い歴史が関係してる。

大きな社会構造、富を吸い上げる権力社会を作るために、上下のある社会や人間のあるべき姿の模範のような実体のない仮の像を作り上げたのはその時の権力者達。それが今日の貧富の差を生み出している。

私たちは気づかないうちにそれが血の中にまで入り込んだような生活を送っている。

それをすべて否定するつもりはないけれど、あまりにもそういう人たちが多いんです。そういった人たちは、常識という言葉が大好きで真実が見えてない事が多い。

常識より、真実を見つめる事の方が大事じゃないか?

私はこんな自分を1mmも否定しませんし、普通に愛してます。

欠点もあるけど、っていいそうになるけど、いやいや欠点って武器だし。

そうなれば、人それぞれ見ている世界はやっぱり違うのだから、同じ価値観で人に冷たいとかいう前に、寛容の精神を持つ事が大事になると思うんだけど。

例えば中国人と日本人では姿は似ていても、文化や国民的性格は違う。

でも例えば旅行にきた1人の中国人がいて電車の中でよくない素行をしていた中国人を見たから、中国は悪い国だと思っているのと同じ事だよ。

いやいや、個人差もあるわけで、まずはそれを大前提にしないとダメでしょ。

 

それに不完全な人間、生きていれば間違う事だらけです。

素直に謝れない事もあるでしょう。

私は大体の事はいつまでも許さないと体に悪いし、覚えとくの面倒と思ってる。トラブルが起きそうな時は保身のために行動しますが、それは正しい事と思います。

とっつきにくいやつだなと思ったらそれで構わないです。

結局は途中書きましたけど、愛と思います。そして寛容の心。

許される事を求める前に、許す事からしていきたい。

 

今日も見てくれてありがとう。

最後にギター教室の紹介動画、ぜひ見てね。愛を込めて丁寧に教えてます(笑)

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